気仙沼市に入りました。この街も建物の基礎が残るのみ。建物の解体、瓦礫の撤去も進み、建物はほとんどなく、その中で仮設の商店街「復幸マルシェ」が元気に営業していました。そして復興のシンボルにと残されたのかな「第18共徳丸」の姿は、津波の恐ろしさを伝えると共に、未来へのエールを送り続けてくれているような、そんな思いがしました。
Date:2012.07.01 | 09:22 | Comments (0)
気仙沼市に入りました。この街も建物の基礎が残るのみ。建物の解体、瓦礫の撤去も進み、建物はほとんどなく、その中で仮設の商店街「復幸マルシェ」が元気に営業していました。そして復興のシンボルにと残されたのかな「第18共徳丸」の姿は、津波の恐ろしさを伝えると共に、未来へのエールを送り続けてくれているような、そんな思いがしました。
コメントはまだありません»
No comments yet.