本日11日、私は司会としてお手伝いさせていただきました
ハイチ支援チャリティー・ヴァレンタイン・コンサート、無事開催いたしました。
あいにくの雨模様にもかかわらず、会場は満席。
金城学園グリークラブの中学3年生から高校3年生のみなさんによる
澄んだ歌声から始まりました。清らかで勇ましい心地になりました。
続いて、カナダ人ミュージシャン/ジョン・ジャンゼンさんの
アコーステックギターの音色と柔らかな歌声で、癒され優しい気持ちになりました。
そして、50人編成のゴスペルグループ「ヴォイス・オブ・ビジョン」の
パワフルでリズミカルな歌声に、エネルギーが溢れました。
それぞれにハイチへの想いのこもった、メッセージ力のある音楽でした。
そして、
「ハイチの会」の熊谷雄一さんからのハイチの現状やハイチという国のお話に耳を傾け、
ハイチ被災地への思いを胸に、遠い名古屋から私たちは何が出来るのかを
みなさんと一緒に考えながらのコンサートとなりました。
コンサート後には、みなさまからの温かい募金がたくさん集まりました。
「ハイチの会」と「日本国際飢餓対策機構」と「ホープインターナショナル開発機構」
の3方へ渡り、ハイチの被災地支援に使われます。
これらの団体は、常日頃から底辺で苦しんでいる人々に寄り添って、
細やかな支援を長年行ってきおている団体です。
被災地で今、どこに何が必要なのか、
ほんとうに困っている人々のところへ、最も弱い方々のところへ、
義援金の支援を届けてくれます。
特にこの震災で注目の「ハイチの会」は、被災前から
名古屋を拠点に20年以上にわたって、ハイチへの支援を行っている団体です。
子どもたちのための小学校建設や給食、農業支援活動など行い、
貧しいながらも明るく、希望を捨てないハイチの人々と
「共に生きている」ことを忘れずに、自立の助けとなる支援を続けてこられています。
「ハイチの会」の熊谷さんは、大地震のあった1月12日、ハイチにいました。
震源地の近郊のレオガン市で、ハイチの会の植林技術研修に携わっていました。
車で移動中にドーンという大きな音と共に、大きなゆれがあり、
慌てて車から降りてみると、首都のポルトープランスの上空には
砂埃が上がり、みんな騒然となったそうです。
コンクリートやレンガの建築が多い首都は崩壊。
首都は貧困層がひしめきあうようにレンガやトタンで作ったよなバラック住居が多く、
地震に対する準備や知識はまったくなかった。
被害が大きくなった理由の1つでもある。
カリブ海に浮かぶ美しいはずの島ハイチは・・・、西半球の最貧国です。
今回の地震によって破滅的な被害を受けました。
復興には長い年月がこれからかかることでしょう。
本来なら今必死で動くべきハイチ政府の対応は、ひどい状態。
信頼できるものではありません。
貧富の差が極端に激しいこの国は、地震後、政府高官は海外へ逃れ、
地盤の固い高台の豪邸街は耐震建築が行き届いていているのか、
まったく崩壊せずに建っていて、そこから見下ろす低層住宅街は、
崩壊し、瓦礫に覆われています。住む家を失った人々が
空き地に、あり合わせの布と木で作ったテントで野宿の日々が続いている状況。
もちろん水や食糧の供給も追いついていないようです。
貧しいこの国が歴史的に抱えてきた、社会の矛盾が見えてきます。
国際社会からの長期的・継続的な支援が必要です。
今日の新聞では死者23万人。被災者総数300万人と出てました。
なんと悲しく恐ろしい数字でしょうか。
一瞬で・・・多くの人の未来を失ってしまいました。
この大地震で世界中に知らしめる事となったハイチの貧富の差。
皮肉なことに、大地震によってこれまでの長く苦しかったハイチの市民の歴史に
世界世論が注目する機会となりました。
なんとかこの地震を機に、ハイチの人々が平等で平和な暮らしを手に入れ、
ハイチ政府が人道的な思いやりのある政府へと立ち直ってくれることを望みます。
今日でちょうど1ヶ月です。まだまだこれからが長い道のりです。
私たちはハイチのこと忘れてはなりません。
「ハイチの会」への今後の支援もみんなでしてゆきましょう。
郵便振替口座:00800-8-124996
講座名義:ハイチの会 (通信欄に「ハイチ大地震」と書いてください)
連絡先:090-3259-0890
mail: nakanonagoya@pop21.odn.ne.jp